猪居亜美インタビュー!(1)幼少期から高校まで

こんにちは!生田Pです。今回は9月20日の「名古屋ギターフェスティバル2025」と翌日の「Master Class &Lecture」に出演する猪居亜美さんにインタビューです!猪居さんはこれまでにも講習会の講師やコンサートなどでも出演していますが今回のように大きく取り上げるのは実は初めて!そこでNGFファンの皆様にも猪居亜美さんファンにとってもより深く公演のことや、彼女の音楽性の秘密を知ってもらうためにインタビューをしました。なるべくそのまま雰囲気が伝わるようにあえて会話調のまま載せました!
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まずは過去に出演したNGFについて
–亜美ちゃん、今日はよろしくお願いします!過去には高山や伊勢でのNGFギター講習会の講師などでお世話になっていますが今回はNGF2025のコンサートのメインゲストということでとても楽しみにしています。早速ですが亜美ちゃんから見たNGFの特徴とか好きなところってなんですか?
よろしくお願いします!講習会は昔は参加者として、最近では講師として参加したのである意味私が一番魅力をわかってるかもしれませんね(笑)。NGFはお客さんとゲストの距離感がいいですよね。演奏者や講師はまず世界第一線で活躍している本格的な方ばかりなのに、肩肘張らないカジュアルな感じが好きです。日本にいながら世界レベルを体感できるところはなかなか無いのでホンマにすごい貴重やと思います。
–ありがとう!確か亜美ちゃんが講習会に受講生として来たのは2016年だったね。マルシンディラとか来てた時だよね。ガラコンでめっちゃ上手くて受講生のおじさま達がざわついてたときの写真あったよ!(笑)。それにしても受講生として参加してくれた亜美ちゃんが素晴らしく成長して今度はNGFのコンサートに出演してもらうとか感無量です。

懐かしいっすね!世界レベルの演奏家にレッスンを受けられてとても刺激的でした。夏の伊勢は本当に雰囲気も良くて今でも良く覚えています。講師演奏も毎日すごかったですよね。
–最近では講師としても本当に頼りにしてます。いつもとてもためになるレッスンをありがとう!
幼少期編 物心ついた頃には弾いていたギター
それでは早速亜美ちゃんのギター人生について聞いていこう。ギターを弾き始めたきっかけって何?やはりお父さん(猪居信之さん)もお兄さん(猪居謙さん)もギタリストだから自然と触れてたのかな?
本当に始めた瞬間って覚えてないんですが、親が言うには最初は4歳くらいの時だったそうです。 やっぱり父の影響からか物心ついた頃には構えて、弾いてました!
–早いね!生まれつきギターを持ってたレベルですね。じゃあその4歳で始めてその後に人前で初めて弾いたのっていつ頃?そしてその時の感覚って今でも残ってる?
多分5歳とかですね。父親の教室の発表会で父と一緒に弾きました。その時はとにかく楽しくってのが、感覚としては強いですね。映像も残ってます!
—ニッコニコやん。間奏の時の「はぁ〜!」がいいですね。ギターって独奏で弾くのは小さい頃は特に難しいと思うんだけどソロで最初に弾いた機会は覚えてる?
6歳の頃にはバッハのチェロ組曲6番のガボットを弾いてましたね。コンクールもその時に出て子供の部門か何かで優勝した記憶があります。6歳の時はこの映像です。
–何この成長曲線!1年でここまで行くのは相当練習した証拠だね。6歳でバッハは凄いね!それは親御さんも期待するんじゃない?エチュード沢山やってコンクール出てみたら、ってなるよね。弾いた曲とかも覚えてる?
そうそう、そこで「コイツはいける!」って父親のスイッチが入ったみたいで(笑)。そこから練習が本格化して、レッスンがスパルタ化(笑)して、小学生のうちに各地のコンクールにも出場するようになっていきました。練習曲とかも結構しっかりやりました。コンクールでは高学年で覚えてるのはタンゴ・アン・スカイとかそういうのをやってましたね。
レッスンは毎日?そんなスタイル聞いたことない!
–レッスン頻度はお父さんは月に何回かレッスン受けてた感じかな?
いえ、やる時は基本毎日です(笑)!その辺は結構特徴的で。発表会前とかコンクール前になると毎晩レッスンがある感じでした。逆にそんなにない時は数週間レッスンがないです。なんか曲が仕上がってきたタイミングとかで「レッスンやるか。」みたいな感じで父親の気分でレッスン始まる感じです。ホンマに「随時レッスン制」って感じです。
—随時レッスン制は初めて聞いた!お父さんも毎日レッスンするの大変だったろうね。熱意が無いとできないよね。
そうですね、小学校高学年くらいからはコンクール前とかの練習量はすごくて、学校から帰ってすぐ宿題やって、それから練習して父親が生徒さんのレッスン終わって一息入れたら私のレッスン始まるんで23時からレッスン受けて、夜中の2時とか3時に就寝みたいな生活の時もありましたね。ちょうどそんな時の話なんですけど、学校の課題で「1日の生活リズムを書こう!」みたいなやつあるじゃないですか、こういうやつ。

それで言ったら、まあこういうのが普通やないですか。でも私が書いたのはこんな感じやったんです。
驚きの生活スタイル!

これで提出したら学校から「さすがにこれは他の子供達に悪影響になるからアカンやろ」ってやり直しさせられました(笑)。まあそんな生活してても就寝してもこのように割としっかり大きく育ったのでそこは結果オーライな感じなんですけど。
確かに(笑)。ちなみに小学校高学年の時はギターの大きさはどんな感じ?きっともう身長も大きかったんじゃない?
私は高学年では150cmとかあったと思うのでその頃には庄司清英さんの手工ギターの少しだけ弦長短いもの(630、640mm)を使ってましたね。本当に小さい頃はぺぺギターの子供用を使っていました。
–さすが、ギタリスト一家!ギターもやはり手工になるとニュアンスとかしっかり出るしね、高学年くらいから若干弦長短いものを持てば結構長い期間弾けるもんね。そういえばギターの他にはピアノとかやってたんだっけ?
ピアノは小さい時からギターと並行してやってました。それから音大入るまで習っていましたね。発表会なんかも出てたりはしましたけどそんなに上手な方ではなかったはずです(笑)。でもピアノ教室でソルフェージュや音楽理論もある程度教えてもらっていたのでとても役に立ちました。
音楽以外の趣味。ギタリスト一家ならではの悩み。
–ちなみに小学生の時に音楽以外で打ち込んでたことってある ?習い事や趣味など。
習い事は書道ですね!その他は何もやってないですね。あと先に言っておくとスポーツ系とかは全くできないです(笑)。ギター弾いている以上は爪割れたりとか指怪我するといけないので球技とかは禁止されてましたし、学校の体育とかでもそういった競技の時は見学でした。
–それは結構厳しかったね。普通の小学生より断然厳しい生活だね。
夏休みとかも多少友達と遊ぶとかはありましたけどそれも割と家的にも厳しくて「遊ぶ時間があるならギター練習する時間あるやろ!」みたいな感じでそういった時間は少なかったと思います。今でこそ理解できますけど結構厳しめですね(笑)。基本は学校から帰って、宿題やって、ギター弾いて、ご飯食べて、ギター弾いて、ピアノ弾いて、寝て、という感じでした。中高生になってからはエレキギターも始めてこれは音楽なんですが趣味(?)が増えました。
中高生時代は音楽中心の生活。勉強は?
–音楽ってちなみにどんなの聴いてたの?使ってた楽器は?
小学校高学年でBUMP OF CHICKENとか聴いてましたね。それから中学に入ってエレキギター弾き始めてからはX JAPANにハマりましたね。結構ビジュアル系とか好きになって、高校の軽音部で周りの影響もあって2000年代~2010年代の音楽のLinkin Park とかエヴァネッセンスとか洋楽にもハマっていきました。今は80年代の洋楽とかが結構好きですね。機材はHIDEさんモデルのモッキンバード(B.C.RICH社のギター)とか使ってました。
–じゃあがっつりエレキギター担当って感じだったんだね。当時ボーカルもやってたり?
あ、はい、基本はギターですが・・・実はピンボーカルでマキシマムザホルモンとかやってました(苦笑)!そこまで下手では無かったと思いますけどあれは若気の至りというか黒歴史ですね(笑)。
–いいですね。世代ですね!じゃあクラシックギターもしっかりやりつつ、ピアノもやって、エレキも弾いて、いよいよ音楽中心の生活になってきたね。もちろん中学生だと勉強とかも言われるの?高校は音楽系?
いえ、普通の高校です。勉強は確かに言われましたね(笑)。できない方ではなかったんですが親も結構厳しかったんで一回めっちゃ反抗期あって。でもまあ高校受験の時はなんとか「やらなければいけないモード」みたいなのに入って、ある程度勉強はして、高校行ってからは軽音部に入部して、と言う感じです。
念願のバンド!しかし続けるにはとんでもない条件が!
–軽音部に入った時に反対とかされなかった?弾き方もやることもクラシックと全然違うよね?何より練習時間も足りなくなっちゃうよね?
そうなんですよ!軽音部は入ったはいいんですけど、特に父親が大反対でしたね。そこである日「ギターコンクールで優勝できるんやったら軽音部続けてもええで」ってとんでもない条件を出されて。
–何か厳しさが増してる気が(笑)。それだけ期待されている証拠だね!
それは体感してました。軽音部はめっちゃやりたいことなんでもうそれからは学校ではバンド、家帰ってからクラシック、夜中はコンクール対策みたいな感じで死ぬほど練習して、、、何ならその頃が人生で一番練習しました。そんな不純な動機なんですけど何とか高2の春に優勝できまして無事にバンドを続けることができるようになりました。
–それは凄いね。それだけ時間を使って練習に励んだ結果だから素晴らしい意欲だと思うよ。(多分この記事を読んでいる読者全員が「よく頑張った!」って思っていることでしょう。私もそう)
音大へ行く決意とその理由。
でもそしたら「優勝できる実力があるんやったらクラシックに専念してもっと上目指さなアカン」って訳のわからん理論を父親にぶつけられて、なんか自分も妙に納得して。
結局それからまた更に2倍くらい打ち込むっていう謎のフェーズに突入しました笑。エレキギタリストにもなりたいなと考えてた時期もあったんですけどそれこそやっぱり経験も足りなくて、このままじゃプロにはなりきれないなと思ったり。改めて考えてみてこれまで長くやってきたクラシックギターで成功したくて大阪音楽大学に入学しました。そこで藤井敬吾先生と福田進一先生に習うようになっていよいよ本格的にクラシックギタリストを目指す意志が生まれてきました。
~~その2へ続く
次回は音大入学以降のストーリーを特集。乞うご期待!
そして今回猪居亜美さんが出演する9月20日の「名古屋ギターフェスティバル2025」と翌日の「Master Class &Lecture」のチケットは下記リンクから!(チケット販売サイトSTORESへ)
https://nagoyaguitarfes.stores.jp